Love it
例えば愛した男が、途轍もなく面の皮の厚い男だったなら、彼のどんな顔が特別なのだろうか。恐ろしく整った顔のその男は、寒い朝の布団の誘惑とか、長い一週間のはじまりの憂鬱な月曜日とか、そういう類を全く感じさせない、ニコニコと人当たりのいい笑顔でわたしと向かい合っていた。
「やぁ、。今日も素敵だね。」
歯の浮くような一日のはじまりの挨拶も彼にとっては日常用語。毎日言われるから慣れてしまって、なんだか今はもうどうでもいい感じだ。
きっと彼は、そのお綺麗な顔で褒め言葉一つでも付け加えれば、女はみんなころっと落ちると思っているに違いない。まあ実際問題そんな笑顔の男にわたしは好意を寄せているわけだから、彼のその考えは間違っていないんだろう。
「おはようリドル。あなたは今日も人形の様に綺麗ね。」
言って紅茶を一口啜った。まだ熱くて、口の中が少しひりひりとする。笑顔を絶やさないリドルを見詰めて、用意していた彼の分の紅茶を差し出した。そのままの流れでクッキーを取り上げて、痛む口の中を誤魔化すみたいに齧ってみた。あまりおいしくない。わたしが差し出した紅茶に優雅にありつく彼には、痛感やらなんやら、人間らしい部分は無いのだろうか。
今日も昨日に倣って青白い顔だ。いや、驚くくらい色が白いのだ。皮膚の下の血管が透けて見えそうな程に。そこに備え付けられた整った目と鼻と口。瞳はまるでガラス玉。離れたところで灯る光を反射して、煌々と色を変える。良い出来栄えの人形だ。その形の整った彫刻みたいな口はそっと両端を上げていて、程良い弓なりの形。美しいとはきっと彼の為にある言葉だったのだろう。
ティーカップをソーサーに戻して、クッキーを齧る彼を見ていると、彼に消化器官があるのかが気になってくる。動いて、喋って、キスをしても、わたしは彼が生き物なのか不安になる。抱きしめられても、交わってもそれは変わらない。けれど彼は目の前に居る。辛うじて血が通っている事くらいなら感じられる。
「なんだい?じっと見詰めたりして。」
少し困ったように眉根を寄せ、首を傾ける。彼に筋肉がある事が分かる。わたしは毎日、毎日、こうやって彼を観ている。いや、観察している。生きているのかを知るために。
「いいえ、あなたを表す言葉を探しているだけよ。」
「僕を表す言葉?美しいとか?偉大とか?」
「あなた、それ、自分で言うのはどうかと思うわ。」
「では、非の打ちどころのない、でどう?」
「非の打ちどころは中身よ。」
「君が言うの?僕の恋人のくせに。」
愉快そうに彼が笑う。これは多分本当の彼。分厚い面の皮に隠されている彼の一部。胸に広がる安堵。彼は人だ。わたしと同じ。
「ええ、そうね。わたしって趣味が悪いわ。」
彼はいつの間にかいつもの彼に戻っている。お人形さん。いやもっと違うものだ。さしずめ彼は死体の様だ。
「いま、酷いこと考えてるだろう?」
わたしの顔をちらりと見て、その瞳を細めた彼が言う。声が少し楽しそうだ。
「さしずめ貴方は死体のようだと思ったのよ。」
「失礼だね。」
彼の瞳が一層細められて、さも愉快そうな笑みが後を追う。どうやら彼は私の表現が気に入ったようで、幾度か口の中で小さく繰り返していた。
不意に彼がわたしを引き寄せて、その腕の中にわたしを収めた。クッキーの粉が彼の服に付いたかもしれない。引き寄せられた体を戻そうと彼の体を押すけれど、彼に離してくれる気はないようだった。
「なによ?」
「僕の心臓の音を聞かせてあげようと思って。」
「必要かしら?」
「それに、ほら、大きく息を吸って?きっと匂いもするさ。」
言われた通りに思いっきり息を吸い込んだ。勿論鼻から。匂いがした。彼に似合わない安物のコロンの。それに混じってほんの少しだけ人間の匂い。そうか、やっぱり彼は人間か。
彼の胸にひっ付けた耳からは、彼の鼓動の音が聞こえる。生きている。確かに。確実に。でもなんだか、その音はとても規則的で嘘っぽいと思った。
顔を上げて、彼を見上げると、彼はジッとわたしを見ていた。表情の抜け落ちたその顔が、規則的で狂いのない心臓の音よりも人間らしいと思った。
「ああ、わたし、リドルを捕まえたわ。」
言って、一拍置かずにキスをした。ほんの少し見開かれた目と、跳ねた心臓が、より一層彼を人間にした。
「敵わないな。」
愉快そうなリドルの声。
一度離した唇がもう一度重なった。
すぐに彼は死体のような彼に戻って、談話室を出ていく。当たり前のようにわたしの手を引いて。その手が少しだけ温かい。彼は人だ。生きている。
わたしは安堵の溜息を洩らす。わたしの愛した男は血の通う人間だった。まるで人形の様で、それ以上にさしずめ死体の様だけれど、彼は間違いなくわたしと同じ人間であり、わたしと同じ世界で生きている。