先生は甘い香りがして、とても優しい人。その先生が人狼だと分かってしまった時は、 正直地球が無くなっても可笑しくないくらい驚いてしまった。

「でも先生が人狼ということは、所謂人狼が先生でもあるわけで、 先生はやっぱり甘い香りの優しい人だから、あまり人狼って恐ろしくないのね。」

 とびっきりの笑顔を付け加えて言えば、先生の瞳が驚くほど見開かれて、 そうかと思えば一瞬で血の気の失せた顔に変わった。

「違うよ、人狼はとっても恐ろしいものだ。だから近づいてはならないよ。」

 先生が私の両肩を掴んで真剣な顔をしても、その後の悲しい顔を見逃したりしない。 私は、分かりました、と応えたけれど、本当はやっぱり分からなかった。 鼻を掠める甘い香りと、私の返答を聞いて悲しそうに安堵する先生は、やっぱり恐ろしくなんて無いから。



伝えたい想いは

言葉にならないから




「せんせーい!」

 ルーピン先生の研究室の扉をノックもなしに開ければ、 待ってましたと言わんばかりの笑顔が私を出迎えてくれた。

「いらっしゃい。でもノックはしようね?」

「はい、先生。あ、お茶を淹れてくださいね!今日はチョコレートケーキを作ったんですよ。」

 私が笑いかければ、ルーピン先生は同じように笑い返してくれた。 促されてソファに座り、持ってきた箱を机の上に置くとルーピン先生がとても楽しそうに箱を開けた。 部屋中に元々充満していた甘い匂いに、チョコレート特有の甘い香りが加わって一層甘さを増していった。

「とても美味しそうだ!」

「味は保障しがたいですが、甘みは保障できますよ。」

「それはありがたい。」

 先生が慣れた様子でお茶を淹れる姿を見ながら、私はチョコレートケーキにナイフを入れた。 甘いものが大好きな先生の分は大きめに切って、自分の分は普通サイズで切り出す。 タイミングよく出されたお皿にケーキを乗せると、先生は迷わず大きい方を自分の方へと寄せた。

「先生は恐ろしく甘党です。」

「そうかなぁ?自分では普通だと思っているんだが。」

「これ通常の5倍の甘さで出来てますから。」

 私が肩を竦めると、ルーピン先生は丁度良いと笑った。私は自分が作ったケーキがこんなにも甘いとは思わず、 口に広がってく甘さが体中に染み付いてしまうような気がしていた。 きっとこの部屋にいるだけで、此処へ来た事が分かってしまうくらい甘い匂いが移ってしまうのに、 それ以上に自分のケーキの甘さが染み付いたらどうなるのだろう。 先生のように甘い甘い匂いを纏い続けることができるようになるのだろうか。 先生と同じにおいになることができるのだろうか。

「先生はいつも甘い匂いがします。」

「ああ、前もそんなことを言っていたね。」

 そういった先生が伏せた瞳から、そっと囁くような寂しさが感じ取れた。 きっと自分が人狼だと私に分かってしまった時のことを思い出しているのだろう。 私にとっては先生の秘密を知れた最高に幸せな日だった。 それでも先生が好きです、と居た言葉、きっと先生の中で友愛のような部分に分類されてしまった。 私は心から先生が好きなのに。けれどその「好き」を説明できないのだから、 そういう風に先生に取られてしまうことは責められないことだ。

「あの時、君は、分かった、と言っていたのに・・・」

 先生が優しい顔で溜息を吐いた。先生はきっと色々と演技に自信を持っていて、 私に自分の感情が零れ落ちてるなんてことには気付いていないんだろう。溜息に混じる安堵感。 気付いてしまった私もまた同じ安堵を得ている。それだってきっと先生には伝わっていない。

「ええ、だから私人狼には近づいたりしてませんよ?」

「だから、私は・・・」

「私はルーピン先生だから近づいてるんです。」

 ほら、また。先生は溜息を吐く。少し笑いながら、困ったフリをして溜息を吐く。 けれどその溜息に混じった安堵感。
 先生も私を好きですか、と聞いてみたいけれど、きっと先生は微笑みながらイエスと言うだけ。 その好きがどの好きかなんて教えてくれない。 もしかしたら先生は、私の好きの形に気付いているんじゃないかと思う。 でもきっと思春期真っ只中の少女の拙い憧れ程度で認識してるに違いない。

「先生、私、魔法薬学の成績が昨年トップだったんですよ。」

「ああ、君は優秀だとセブルスから聞いているよ?」

 行き成り変えられた話題に困惑して、紅茶を飲むフリで誤魔化した先生が作り笑いをした。 でも私はそんな先生の作り笑いも嫌いじゃないから微笑み返した。するとほら、先生は次には確り笑ってくれる。

「私ね、最近スネイプ先生のお手伝いをしているんです。」

「へー本当に優秀なんだね、あのセブルスが手伝わせるなんて!」

 珍しいものでも見るような目で見て、目じりを下げてくしゃりと笑った先生。 それはそれは褒め上手で、思わず頬を赤らめてしまった。すっと伸びてきた手が私の頭を捕らえて、くしゃくしゃと撫でるのが心地良かった。

「もう一人でできるようになったんですよ?」

「え?何をだい?」

「調合です。」

 そんなものが一人で出来るのは当たり前のこと。 簡単な、生徒が行うような調合ならば、魔法薬学トップならば本当に当たり前のことである。 ルーピン先生の顔つきがすっと変わっていく。

・・・」

「私、先生が好きです。」

 目を伏せて笑ってしまった私には、私の言葉を先生がどういう風に捉えたのかは分からなかった。 けれど空気が一瞬震えて、甘い香りがする。部屋中に充満する先生と同じ甘い香り。私に移り香を残す香り。

「今日の脱狼薬、私が調合したものです。」

 伏せていた瞳を開けると、真剣な瞳の先生と視線が交じり合う。ああ、ちゃんと伝わったのだと、私は安堵の息を吐く。 刹那の事。立ち上がった先生が机を超えて私に触れた。 先生が触れてくるのは初めてで、あまりの驚きに硬直する私を全く気にする風でない先生は、 なんともいえない表情をしていた。

「先生、泣かないで?」

 頬に触れて、首に触れて、後ろ髪を通った先生の手が、私の後頭部に触れた。 先生を見つめると腕に力が入れられて、私は先生の胸に収まった。甘い香り。 恐ろしいほどの甘い香り。くらくらとして、夢の中に居るような甘い香りがした。

「君はっ・・・君はまったく・・・」

 先生が溜息を吐く。複雑な溜息の中にもやっぱり安堵感が感じ取れて、私もまた酷く安堵する。 どういう気持ちで先生が私を抱きしめているのかなんて分からないけれど、 抱きしめてくれている事実だけで生きていける気がした。 今までしてきたことが無駄じゃなかったと感じられた。

「先生の傍に居るわ。」

 搾り出した声で言えば、先生の腕に力が一層篭った。 私の肩に埋もれた先生の頭が動いて、耳に唇が寄せられた。

「君を大切にしよう。」

 涙が溢れた。幸福が部屋中に満ち満ちて、私たちを包んでくれるような心地。夢よりも現実を忘れそうになるほどの現実。

「先生、大好き。」

 私の声が甘い甘い部屋に染み渡って、 ぎゅっと抱きしめられた私には甘い甘い先生の香りが染み渡っていくのを感じた。

「先生はやっぱり甘い香りの優しい人です。」

 私がふんわりと笑いかけると、先生は緩やかに幸福そうに微笑んでいた。