Nemo ante mortem beatus. #2こうなる事は宿命だった




 その後の彼の行いを少し良い風に言えば、彼はわたしの言葉に忠実で、わたしの望みを叶えてくれた。

 「『先方がお亡くなりになられて、先のお話はなくなりました。』」

 「ふーん。」

 母から届いたお手紙を声に出して、態と彼に聞かせると、彼はとぼけながらも、さも当たり前の出来ごとのように微笑んだ。その自慢げで満足した顔を見れば問い詰めるまでもなかった。
 母曰く、その死は不可解かつ残忍で、けれどひっそりと闇に葬られたそうだ。なんという手際、とマグルの警察官が漏らしていたとまで書いてある。
 一体どんな方法で相手を葬ったのだろうか。知りたいような、知りたくないような。いや、知ってしまってはいけないような、だろうか。

 「ねぇ、トム、これは運が良いというべきかしら?」

 それとも「ありがとう」とあなたに言うべきかしら、とは言わなかった。確かに有難い結果ではあるけれど、感謝する気にはならなかった。
 小さな不満を漏らすわたしに背を向けふらりと消え去った彼が、その後にどんな方法かは分からないけれど、母の言葉を借りれば不可解かつ残忍な方法で、わたしの見合い相手になるはずだった詰らない男を殺したのは明白。この男はそういう男だ。
 かくしてわたしの望んだとおり、トムと比べたら月とすっぽん並に違う男はこの世界から消えてしまったのだ。

 「は運なんて信じているのか?」

 「まさか。」

 「ならば、きみが思うことが真実だよ。」

 にやり。そう、にやり。またあの笑いだった。血なまぐさい蛇の嗤い。わたしを試そうとしているの?「逃げるかい?」、「恐れるかい?」なんて言葉が彼の笑みには含まれているように感じた。
 わたしは呆れた顔を貼り付けて、彼の鼻先をピシャリと叩いて、彼の目の前で母からの手紙を燃やした。

 「ならそうすると思ったよ。」

 そう、とは、どう、なのだろう。手紙を燃やしたことを表しているのか、わたしの心の中を覗き込んで、このことは忘れてしまおうとしたことを知ったのだろうか。
 トムを見ると、彼は酷く満足していた。その細められた眼の奥に喜びがあった。狂気があった。その狂気の陰に隠れるように、いやその狂気と癒着するようにひっそりと愛が見えた。そんな、気がした。
だから、わたしは忘れることにしたのだ。彼の始めての人殺しを。彼の始めての残酷を。お互いの距離を測れない愚かなわたしには、彼の瞳の中にある愛を受け取る方法が分からなかった。彼の求める愛がいったいどんな形をしているのかが分からなかった。だからわたしは眼を閉じ、口を紡ぎ、耳を塞いだのだ。
 これ大いなる間違いだった。その後の一年を以てしてわたしはこの日を悔んだ。何故なら彼の行いはここで終わらなかったからだ。
 そしてその後どれ程の時がたっても考えてしまう。もしもあの日、わたしが彼の行いを窘めていたならば、あるいはそれよりも以前に彼と出会う運命を棒に振っていたならば、彼の狂気は目覚めずに済んだのだろうか。そのことに対しての答えは未だない。死を以てしても分からないことがあると、わたしは知った。
 その後の彼はどんどんと闇に染まり、その持前の才能を闇に注ぎ込み、わたしを奪われまいとした歪んだ愛情をきっかけに歯止めを失くした。

 ある日の午後。夕暮れの最中。わたしを呼びとめる声があった。振り返ると、立派な髭を蓄えた老いを感じさせる男が一人。ダンブルドア。彼の宿敵になるであろう偉大で愚かな魔法使い。

 「 。」

 「ダンブルドア先生、あなたに声を掛けられる日が来るなんて、思いませんでした。」

 「わしもきみに声を掛ける日が来るとは思ってもみなかった。」

 赤い陽がわたしとダンブルドアに降り注いで、血の海に立ちすくんでいる様な心地がした。世界が終わる日はきっとこんな色をしているのではないだろうか。真っ赤に染まって、きっとしんと静かな日に世界は終わって行く。やがて来る夜に、人々は何も知らないまま、けれどどこか心の端に潜む不安を感じながら、眠りに就く。そして朝が来ないのだ。眼が覚めることがない眠りに、わたしたちは知らぬ間に就いてしまうのだろう。

 「トムが、なにかしましたか。」

 疑問符はいらなかった。胸に燻ぶる不安が気のせいだなんて思えない。これは不安だろうか。期待?それとも恐れ?
 胸に手を当てると、鼓動がいつもの倍の速さで刻まれていた。まるで走って逃げている時みたいだった。

 「彼は、一人の少女を死に追いやり、一人の少年の未来を奪った。」

 「証拠が?」

 「勿論無い。」

 勿論無い、と声に出さず、口の中で繰り返した。そう、勿論無いのだ。彼が証拠など残すわけがない。だって彼だ。なんという手際。鮮やかな仕業。

 「ダンブルドア先生、それならば彼を責め立てることはできません。疑わしきは罰せず。それが理です。」

 彼はもう、戻れない。彼は闇。彼は深い深い夜。月の無い、朝の来ない、不安な眠りの後に訪れる夜。

 「その通り。だからきみに話した。」

 この人も彼と同質の魔法使いだったのだろう。ただ彼とダンブルドアの間には、何か小さな違いがあり、ダンブルドアはその中に潜む闇を正義へ、そしてトムはそれをより深い闇へと注いだだけ。
 ダンブルドアの発した「その通り」という言葉は、「疑わしきは罰せず」と言ったわたしの言葉に掛ることはなく、心の中で呟いた「戻れない」を肯定しているように感じた。

 「きみは、どうするかね?」

 わたしは何も答えなかった。踵を返したわたしの背に掛けられた問いへの答えが、数歩先の角を曲がりきるまでに見つかりそうになかったのだ。



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