Nemo ante mortem beatus. #4やっと、見つけた君を




 新しい世界を望むといことは、それは一重に今の世界を無きものにしたいほどに憎んでいるということだ。彼らの望みは世界の変貌でも、より良い未来の確立でもない。彼らが望む事は崇高な理想の実現ではなく、今在る世界への復讐に過ぎないのだ。自分を甚振り、蔑み、拒絶してきた世界を、いかにして甚振り返し、蔑み返し、拒絶し消し去るか。それを実行している。そしてさしずめその復讐劇の最中に生まれ、生けとし生きるものの全ては巻き込まれたに過ぎない。
 彼と共に生きていく事を望んだ。今もその想いは変わらない。若さゆえの選択と言われれば、そうだったかもしれない。けれどその愚かさ恨んだ事はない。今でも変わらずに、何処までも彼と共に生きたい。死さえ乗り越えて、彼の隣を望んでいる。
 けれどそれと同等に湧きあがった、苦しさ。そして、後悔。沢山の屍の上に置く玉座は予測していたよりもずっとくすんだ色をしていた。彼が世界に復讐する、その道にそっと寄り添うということが、彼と同じ罪を、彼とは違う私が背負うという事だと分かっていた。けれど、私はそれに伴う感情を測り損なっていた。
 結局あの頃のわたしはなにもかも測り損なっていたのだ。

 明け方、どんよりと不機嫌な空が、ついに泣き始めた。私はつい先ほどやっと床に就いたトムが眠っている事を確認してから、そっとベッドを抜け出す。別にどこかへ行くつもりはない。寝間着の上にガウンをはおるだけで外へと出た。外と言っても部屋のバルコニー。
 降り始めの雨は生温かかった。肌の上をそっと撫でていく。次第に強く成って行くその力は、まるで自分にこびり付いた何かをこそぎ取ろうとしているようだった。

 「あぁ…」

 ちっぽけな、わたし。そんな風に思春期にはいつも悲しんでいた。ちっぽけな、わたし。でも、そのちっぽけなわたしが、わたしにとっては全てだった。そこにトムが現れて、ちっぽけなわたしはトムを愛した。トムだってちっぽけな人間なのに、彼はわたしをやんわりと包み込んでしまった。

 「。」

 ただ棒のように突っ立って、空を見上げて降りしきる雨に打たれていたわたしの体を、トムは後ろからすっぽりと抱き込む。出会った時は同じくらいだった身長は、いつの間にか彼の方が20センチ以上大きく成っていた。

「どうしたんだい、?」

 「どうもしてないわ。」

 あ、デジャヴュ。そんな風に思った時には、彼の方を向かされていて、確りと顎に添えられた手が、顔を下ろすことさえ許そうとしなかった。

 「いや、嘘だね。そんなに泣きそうな顔をして、何を言うんだい。」

 ほら、デジャヴュだよ、トム。昔もそうやって放っておいてくれなかった。それがどんなに嫌で、でも、どんなに嬉しいのか、きっとあなた分かってない。あなたに愛はないって、そんな風に言った人がいたけど、これが愛じゃなかったら、何が愛なんだろう。こんな傍迷惑なもの、愛に決まってる。愛しかないわよ。

 「あなたが好きで、愛しくて、愛してるの。」

 「知ってるよ。」

 「どうしたらいいのか分からないほど、あなたが必要なの。」

 「ああ、知ってる。」

 打ち付ける雨が何時の間にか冷たくなって、体が震えた。その体をトムがさすってくれる。降り始めの生温かい雨のように。

 「僕がそういう風にしたんだから。」

 わたしの唇にキスをする前の彼の顔が、まるで天使の彫刻のように穏やかで残酷に微笑んでいた。



 今日でこの復讐劇が終わる。どうしてそんな風に思ったのかは分からないけれど、彼の左頬におはようのキスをした時に、そう確信した。クロゼットから彼のお気に入りの銀のドレスを出して、彼が似合うと言ってくれた口紅を付けて、彼が素敵だと言ったグリーンの靴を履いた。わたしの姿を見た彼は眼を細めて、今日にぴったりだ、とわたしを抱きしめた。
 そしてわたしの手を引いて、あの場所へ。わたし達の始まりの場所。出会いも、決意も、あなたの復讐の始まりも、全てはあの城から始まったのよね。
 あの日ね、もしもあなたに何も言わずに、お母様に「そのお話はお受けできかねます。わたくしはお家を捨て、愛しい殿方と英国にて生きていこうと心に決めました。」と、そんな風に手紙に認めていたなら、と何度も思ったのよ。

 「さぁ、ホグワーツへ行こう。」

 でもそんなことしたって結局変わらなかったでしょうね。

 「ええ、往きましょう。」

 巡り巡って、始まりの地へ。きっとこれで終わり。
 先行く彼が振り返って、わたしに手を差し出す。わたしは一度眼を閉じて、息を吸った。わたしを幾度となく押しつぶそうとした苦しみがなかった。なんの迷いもない。今日で終わりだ。そしてきっとそれはわたしの思うラストシーン。
 眼を開き、彼の手を取る。ジッとわたしを見る彼と眼が合って、ギュッと手が握られた。そしてわたしは初めて、本当の彼を掴んだ気がした。



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